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海外批評誌Grindhouseが映画『さなぎの猫』をカントの「崇高」から読み解く

8月20日
読了時間: 4分

更新日:9月16日

イスラエルの映像配信サービス「Grindhouse」で配信中の映画『さなぎの猫』について、同サイトのMagazineに批評記事が掲載されました。


記事タイトルは「שאינו נתפס(捉えきれないもの)」。


映画『さなぎの猫』 星空の下のハナコ
映画『さなぎの猫』より

記事では、島へ漂着した謎の女性と、その存在によって静かに揺らいでいく島の人々の暮らしを、イマヌエル・カントの「崇高」という概念から読み解いています。



以下では、原文の段落構成と論の順序に沿って、記事の内容を日本語で要約して紹介します。※全文翻訳ではなく、原文の論旨をまとめたものです。



「美」と「崇高」

カントは「美」と「崇高」を区別した。

「美」は、人間の感覚や理解の尺度に収まり、その形の中に調和を感じることのできるもの。

一方の「崇高」は、荒れた海や星空、巨大な山のように、人間の想像力では一度に捉えきれないものに出会ったときに生まれる。

理解しようとしても捉えきれず、自分の想像力の限界にぶつかる。そこから、美の穏やかさとは異なる、畏れや高揚を伴った感覚が生まれる。

『さなぎの猫』は、そうした「捉えきれないものとの遭遇」を、派手なスペクタクルではなく静かな映画として描いている。



島へ漂着した異邦人

島へやって来た謎の女性は、怪物でも侵略者でもない。

彼女は、島の人々が知っている既存のカテゴリーには収まらない存在として、ただそこにいる。

危険な行動によって日常を壊すのではなく、これまで当然だと思われていた世界の尺度に収まらないこと自体が、島の秩序を揺さぶっていく。

外から押し寄せる巨大な脅威ではなく、「既存の秩序の中に場所を持たない静かな異質さ」。

そこに、この映画の「崇高」がある。


映画『さなぎの猫』 島へ漂着したハナコと島の人々
映画『さなぎの猫』より

侵略のないSF

『さなぎの猫』は、世界を救う物語でも、宇宙人との戦争を描く映画でもない。

しかし、カントにとって崇高とは、大きな事件そのものではなく、人間の意識が自らの限界にぶつかるところに生まれるものだった。

戦闘も勝利も、差し迫った危機もない。

だからこそ、「自分たちの枠組みに収まらないものと出会う」という経験そのものが残る。

派手なアクションは、未知なるものを単純な恐怖へ変えてしまうことがある。

『さなぎの猫』の静けさは、理解を超えたものと向き合う感覚を、そのまま残している。



人と人とのあいだにある距離

理解できないのは、外から来た存在だけではない。

どれほど小さな島で隣人として暮らしていても、人間が他者を完全に理解することはできない。

謎の女性が現れることで、それまで日常の中に埋もれていた島民同士の距離や異質さも浮かび上がってくる。

未知なるものは海の向こうだけにあるのではない。

共同体の中にも、人と人との間にも存在している。



小さな尺度としての島

舞台となる佐柳島は、長年の生活や習慣によって形作られた、小さく閉じた世界でもある。

そこへ、その尺度では測れない存在が入り込む。

カント的な「崇高」は、単純な大きさだけで決まるものではない。人間が持つ尺度との関係によって生まれる。

島が小さく、住民にとって馴染み深い世界であるほど、そこに属さない存在は大きな意味を持つ。

『さなぎの猫』は、島という小さな世界を使うことで、その異質さを際立たせている。


映画『さなぎの猫』 佐柳島から瀬戸内海を望む風景
映画『さなぎの猫』より

謎とともに留まる

謎の女性は何者なのか。どこから来たのか。

それらを、すべて理解可能な答えへ変えることはしない。

カントの「崇高」もまた、理解できないものを完全に理解可能なものへ変える思想ではない。


だから、この映画が謎を残すことは、

「映画の欠点ではなく、その誠実さである」

と評価される。


世界には、自分たちの言葉や理解だけでは捉えきれないものがある。

『さなぎの猫』は、その分からなさを解決せず、開かれたまま残す。

そこに、この映画の「崇高」がある。

(以上、要約終了)




制作側として

ここからは、Grindhouseの記事の要約ではなく、U.M.I Film makersとしての感想です。


『さなぎの猫』はこれまで国内外の映画祭で上映・評価していただいてきましたが、今回のように、一本の作品を思想や哲学の観点からまとまった形で読み解いてもらう機会は、また少し違った嬉しさがあります。


特に興味深かったのは、カントの「崇高」という一つの考え方によって、本作の「静けさ」「小さな島という舞台」「人間同士の距離」「謎をつまびらかにしないこと」といった、製作時に意図していた要素を、別の角度から読み取ってくれている点でした。

勿論、カントのことは製作当時は一切想定していませんでしたが、作品を作った側とは異なる文化圏から、異なるアプローチで、私たちが意図していたものと重なる見え方を提示してもらえることも、映画が海を越えて届く面白さのひとつだと思います。


『さなぎの猫』は現在、Grindhouseにてヘブライ語字幕付きで配信されています。


『さなぎの猫』

監督・脚本:野村有志

2022年/日本/88分


原文:Grindhouse Magazine「שאינו נתפס」





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